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おはようございます。イワセ商会 菊池です。

 

週末に結婚式に出たり、フリーマーケットをのぞいたり、

頼まれた国際労働基準の翻訳(強制労働の禁止云々と言うやってて面白くないものでした・・・)

をしたりと、なんだかんだで忙しく過ごしていましたが、合間に、お茶を飲みながら

故郷の事を話す機会があり、いろいろ話していくうちに面白くなったので、

今回は、私の故郷について雑感を書いてみます。

 

<img src="http://www.kyusai-tokyo.com/shop/upload/updir/ekimae.jpg">

▲私が生まれたころのわが町の駅前。このような工場が1.5キロもあり、構内に鉄道がありました。ちなみにこの鉄道は日本で3番目に引かれたものです。

 

私の故郷は東京より600km離れた奥東北にあります。

 

リアス式海岸の中の奥まった位置にある街で、四方を1千メートル級の山に囲まれ、

東側には太平洋が広がる、少々陸の孤島じみた街です。

 

今はもう有りませんが、私の生まれたころは製鉄所があったので、

「鉄と魚の町」と言われ、鉱山町でもあり、工業都市でもあり、農村でもあり、

漁村でもある変わった街でした。昭和初期には東洋一の鉄の町と言われたこともあります。

 

鉱山の施設が乱立する山に囲まれた狭い平地には天を衝く大煙突が何本も伸び、

コークスと煤煙の臭いが街中にこもりつつも、その中の川を鮭が遡上し、

アワビやウニをはじめ豊富な魚介類がとれ、しかも、近所に猟師や山菜採取専門業者

までいるような不思議な環境でした。

 

父方は隣の町から4代前にこの町に来て、代々造船業を営み、母方も4代前に

県庁所在地からこの町に来て、代々医者をしていました。

 

風変りな街の中でも、父方母方とも製鉄所関係ではない珍しい出身ですし、

代々住んでいたわけではないので、町の中でもやはり我一族は風変りな存在でした(笑)。

 

今では過疎が進み、製鉄所も閉鎖されてしまった街ですが、

心の中では、力強い工場の煙突群や溶鉱炉、街にあふれる人々。

その背景に広がる険しい山々や、町中からでも見える水平線などが次々と

浮かんでは消えていきます。

 

漢語で

 

十年帰不得(十年帰る事が出来なかったので)

忘却来時道(ここに来た道を忘れてしまった)

 

と言う言葉があります。

 

いつも駆け足の帰省ですが、これを機会に

今年のお盆は少し故郷をじっくり見て来たいと思います。道を忘れぬうちですね。

 

 

                                     菊池

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