× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 散歩やジョギングの途中で気になる光景がある。
それは、捨てられている猫の数が実に多いこと。
サツキや雑木林を根城として、通る人に淋しげな視線を投げかける。
甘えた鳴き声を発して、相手にしてもらいたい孤独感を訴えてくる。
多分、繁殖していったのだろうけど元々は捨てた人間のエゴイズムが
原因であろうことは容易に想像がつく。
その寂寞に反して、愛犬を伴い楽しそうに散歩する人の多さにも驚く。
飼い主もペットもすこぶる幸せそうに見える。
ベストを着せたり,夕刻時などはネオンランプのようなアクセサリーを付けている愛犬も、
また足袋を履かせて散歩している姿も時々見かける。
とても可愛く動くぬいぐるみのようだ。
あるとき、やんわりとお尋ねしてみたことがある。
その方のお答は、「裸足だと部屋に帰ったとき絨毯が汚れるから」!?
唱歌で「犬は喜び庭駆け回り猫はこたつでまるくなる」が、ほのぼのとした動物愛護と、
思い込んでいる自分が進化していないのだろう!
猫を大切にして可愛がっている人もたくさんいることも分かるが単純に感じることは、
捨て猫が目立つ割に捨て犬はほとんど見かけない。
同じ愛玩動物なのにこの違いは何なんだろう?
捨てられた猫へ定期的に餌を与えているやさしい人も見かける。
その脇に、「餌を与えないで下さい。与えるなら責任を持って去勢手術をして下さい」など
無慈悲とも思える区の立て看板がある。
とりわけ哀れみを感じる光景は、
飼い主に幸せそうに連れられて歩く犬を、羨ましそうに見送る猫達の姿だ。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。」‥
漱石先生の古き良き時代が猫も人間にも幸せだったのかも知れない。
それぞれに「らしさ」と自然体があったのだろう。
今の世の中、装飾と画一性で満ち溢れている気がする。
また、公私に於いて独善的排他主義も決して良識社会から支持されない。
今やボランティアスピリットは社会の潮流だ。
知らぬ間に花粉症が国民病になってしまったように、狂牛病から始り、鳥、豚、と続き
今度は猫インフルエンザやカラスの襲来が人間生活を脅かさないよう、
対策を考える時期が来ないとも限らない。
人間も動物も、その生態を壊すことなく共生できれば一番の幸福だと思うが。
捨てられた猫サンたちヨ!今日は天気がいいからノンビリくつろげるかナ?
「負けるな一茶ここにあり」の器量を持った人間は世の中に沢山いる。 岩瀬 PR |
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